近代〜現代の「クリスマス×ファッション」:ラグジュアリーが“祝祭の形”をつくった
近代以降のクリスマスがファッションと深く結びついた理由は、季節行事が単なる宗教・家庭行事の枠を超え、**都市の「ギフト文化」と「視覚演出」**として拡張されたからです。ラグジュアリーブランドは、その拡張を“商品”だけでなく、箱・窓・広告・映画・イベントといった複数のメディアで支え、クリスマスを「装いと贈与の季節」として定着させました。
Tiffany & Co.:ブルーボックスとウィンドウが、都市のクリスマスを“美術館化”した
ティファニーがクリスマスの記憶と結びつく核は、「贈与の所作」そのものをブランド体験にした点です。ブランドの公式解説では、ティファニーブルーの採用が1845年のカタログ(Blue Book)に遡ること、さらに1886年には“ティファニーブラックボックスではなく”最初のティファニーブルーボックスに収めた指輪の導入にも触れ、箱が「愛の約束」の象徴として機能してきたと説明されています。
もう一つが、ショーウィンドウを公共のギャラリーとして運用してきたこと。ティファニー公式の「Windows of Tiffany」では、創業初期から幻想的なウィンドウが伝統になったこと、そしてウィンドウが“夢を見る装置”であるという思想が語られています。
さらに、CFDAはホリデーウィンドウの文脈で、ティファニーがウィンドウデザイナーのGene Mooreの影響(1960年代の象徴的なクロームの人物像など)を引き継ぎ、祝祭の視覚文化を更新してきた点を紹介しています。
現代に入ってもこの構造は強く、ティファニーは公式プレスで2025年ホリデーキャンペーンを発表し、「Love Is a Gift」というメッセージで“贈与=愛の言語”を明確に打ち出しています。
クリスマスが「何を贈るか」だけでなく「どう贈るか」まで含む季節になった背景には、ティファニーのように箱・窓・都市の景色を一体の物語にするメゾンの技術がありました。
Cartier:赤いボックス、“意味を着けたジュエリー”が祝祭を普遍化した
カルティエがクリスマスと強く結びつくのは、ジュエリーを「高価な物」ではなく、関係性や誓いを担う“記号”として設計してきたからです。象徴的なのが、
- Trinity(1924年、ルイ・カルティエによる3連リング)
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LOVE(1969年、ニューヨークでAldo Cipulloが制作したことを公式に明記)
という二つの“意味を宿した定番”です。
Trinityは公式ページで1924年に考案されたこと、デザインの単純さと象徴性が核であることを述べています。
LOVEは公式で1969年にCartier New Yorkで制作された点が明記され、楕円のプロポーションやディテールが「視覚言語」として固定されたことが読み取れます。
そして現代のクリスマスにおいてカルティエは、年末の「ギフトシーズン」を“物語の短編”として毎年制作する方向へ強く舵を切っています。たとえばLuxury Dailyは、Cartierのホリデー向け短編キャンペーン(2024)を報じ、映画監督を起用した演出で“贈与の季節”をシネマティックに提示している点を整理しています。
カルティエの赤い箱は単なる包装ではなく、贈与の形式そのものを完成させるフレームとして機能し、クリスマスを「意味を渡す季節」へと近代的に整えていった、と言えます。
CHANEL:ホリデーを“香りと身振り”で支配する——N°5とギフトの演出
シャネルにおけるクリスマスの結びつきは、服そのものよりも、“ラグジュアリーの贈り物”を象徴するプロダクト(特にフレグランス/ビューティ)が、祝祭の記憶を反復してきた点にあります。
近年のシャネルは、ホリデーを単なる販促ではなく、世界観の舞台に変換します。Vogueは、N°5のホリデーキャンペーンに合わせてニューヨークで行われた体験型イベント(“In the Snow”)を紹介し、雪景色の演出と都市の祝祭を接続した事例として記録しています。
さらにVogueは、2025年ホリデーのギフトコレクションについて、限定意匠・セット構成・象徴モチーフまで含めて解説しており、シャネルがホリデーを“物語として編集する”姿勢が読み取れます。
シャネルが強いのは、クリスマスを「赤や装飾」の季節としてではなく、**静かな高揚をもたらす“儀式”**として扱えるところです。香り、限定の容れ物、短編映画や空間演出。そうした反復の積み重ねが、ホリデーにおけるシャネルの“確かな存在感”を作ってきました。
MOODのひとさじ
クリスマスとラグジュアリーの相性が良いのは、祝祭が「新しい物」よりも、「意味のある物」を求める季節だからだと思います。ティファニーは箱と都市で、カルティエは記号としてのジュエリーで、シャネルは香りと演出で、その“意味の型”を磨いてきた。
MOODとしては、その型がはっきりしているほど、装いは派手にならなくても十分に強い、と捉えています。祝祭に寄りかかるのではなく、祝祭と並んで成立する静かなラグジュアリー——そこに、今の気分があるように感じます。