ジェンダーレスの現在地:フェミニン/マスキュリンの境界線は、どう変わってきたか
いま「ジェンダーレス」と呼ばれる現象は、服そのものが中性的になったという単純な話ではありません。より正確には、フェミニンとマスキュリンを分けていた合図が、同じ一着の中で共存できるようになったという変化です。ボタンの合わせや丈の常識、素材の選び方、装飾の許容範囲。そうした“服の言語”が、時代ごとに書き換えられてきました。
言葉の整理:ユニセックスとジェンダーレスは少し違う
1970年代に広がった「ユニセックス」は、男女で同じ形を共有する発想でした。その象徴としてよく挙げられるのがルディ・ガーンライヒの1970年「Unisex Collection」で、当時の雑誌で大きく扱われた事実が記録されています。
一方、現代の「ジェンダーレス」は、同じ形に揃えるより、コードの混合に近い。たとえば、テーラードの構造を保ったまま、色や装飾、シルエットで性別の読み取りを曖昧にする。境界線を消すというより、境界線を“複数化”していく動きです。
1960s:スーツが「女性の夜」を変えた
1966年、イヴ・サンローランはウィメンズのためのタキシード、いわゆる「Le Smoking」を提示します。そもそもタキシードは、葉巻の匂いから服を守るための喫煙室用の正装で、長く男性の領域にありました。その背景まで含めて、YSLのミュージアムが明確に説明しています。
この出来事が重要なのは、パンツを穿くこと以上に、正装の権利が移動した点です。マスキュリンな形式が、女性の身体に合わせて調整され、社会の場に入り直した。ここで「男の服/女の服」という分類が、静かに揺れ始めます。
1970s:ユニセックスは、思想として現れた
1970年代のユニセックスは、スタイルの流行というより、社会の価値観の変化と並走していました。ガーンライヒの“ユニセックス”が象徴するのは、身体の自由や移動の自由を含んだ未来像で、ファッションがデザインを超えて、態度として語られた時代です。
2010s:ラグジュアリーが、境界線を「美意識」として更新した
現代の転換点として語られやすいのが、2010年代のラグジュアリーの変化です。たとえばGucciは、従来のメンズ/ウィメンズの区切りを、ショーの構造から見直す方向へ進み、2017年からの統合ショーを発表したことが報じられています。
ここで起きたのは、ジェンダー表現の拡張だけではありません。発表のカレンダー、売り方、イメージの作り方まで同時に変わり、境界線が「服の形」ではなく「ブランドの世界観の運用」で書き換えられていった。
同時期、Burberryもまた、メンズとウィメンズを同時に発表し、ショー直後に販売するモデルへ踏み込んだことが報じられています。
つまり2010年代は、ジェンダーの曖昧化が、文化だけでなく産業の仕組みの中でも進んだ時代でした。
2020s〜現在:ハイパー拡散と、揺り戻しが同時に起きている
いま境界線がさらに動く背景には、SNSとセレブリティ文化の影響があります。K-popアイドルがラグジュアリーブランドのアンバサダーとして起用される流れは、ロイター報道としても整理されており、「誰が着るか」が「どう読まれるか」を決定づけやすくなりました。
その一方で、ジェンダーや身体表現をめぐる空気は単線ではありません。2025年の文脈では「女性らしさ」が再び商品化される動きへの批判も語られ、フェミニン/マスキュリンの線引きは、広がりながらも緊張を抱えています。
要するに現在は、境界線が消えたのではなく、複数の価値観が同時に走っている状態です。だからこそ、ジェンダーレスは「中性的な服の流行」ではなく、社会が“服の読み方”を更新し続けている途中経過として見えるのだと思います。
MOODのひとこと
フェミニンとマスキュリンの境界線は、なくなったというより、静かに薄くなったり、場所によって濃くなったりしています。MOODが惹かれるのは、その揺れを恐れず、仕立てや素材の誠実さで受け止めてきた服たちです。服の強さは、誰かを型に当てはめることではなく、型を超えたところでも美しく成立することに宿るのだと考えています。