「静かな贅沢」の正体  ――“Quiet Luxury”は新しいトレンドではなく、ずっと続いてきた態度の名前

「静かな贅沢」の正体 ――“Quiet Luxury”は新しいトレンドではなく、ずっと続いてきた態度の名前


「静かな贅沢」の正体

――“Quiet Luxury”は新しいトレンドではなく、ずっと続いてきた態度の名前


ここ数年、「クワイエット・ラグジュアリー」「ステルス・ウェルス」という言葉が一気に広まりました。TikTok や記事のなかでは、ロゴを排したコートやニット、ニュートラルカラーのレザー小物が、その代表として語られます。Business of Fashion も「Loro Piana や Brunello Cucinelli のような、控えめだが高価な服」を Quiet Luxury の典型として挙げ、ロゴ疲れした消費者に支持されていると分析しています。


一方で Forbes は、Quiet Luxury は「突然現れた新しい現象ではなく、ずっと続いてきたスタイルの再ラベリングに過ぎない」とも指摘しています。

つまり今起きているのは、“静かな贅沢”そのものが新しくなったというより、既に存在していた美学に、メディアとプラットフォームが一斉にスポットを当てた状態に近いと言えます。





1. 90年代ミニマリズムという「前史」



現在 Quiet Luxury の文脈で語られるブランドの多くは、すでに 1990 年代の時点で、ロゴよりもシルエットと素材を信じるミニマリズムを提示していました。


  • Jil Sander
  • Helmut Lang
  • Prada
  • Martin Margiela



といったデザイナーは、80年代の派手さへの反動として、削ぎ落とされたラインとニュートラルな色調、工業的なディテールを前面に出し、「静かだが緊張感のある服」を提案していたと、90年代ファッションを扱う複数のレビューがまとめています。


90年代ミニマリズムは、


  • ロゴではなくカッティングとプロポーション、
  • 装飾ではなくテキスタイルの質、
  • 即物的なセクシーさではなく知性や冷静さ



を価値に置く態度でした。現在「Quiet Luxury」と呼ばれているものの多くは、この文脈の延長線上にあります。





2. フィービー期 CELINE:ミニマルが「女性の現実」に接続された瞬間



2008〜2018 年のフィービー・ファイロ期 CELINE は、Quiet Luxury の現在のイメージを決定づけた重要なフェーズです。

CELINE のブランド分析では、彼女が Jil Sander や Helmut Lang など 90s ミニマリストからインスピレーションを受けつつ、現代女性の生活に即した服を提示したことが指摘されています。


特徴的なのは、


  • ロゴよりもボリュームのバランス(太いパンツとシャープなコートなど)
  • 強い色は使っても、基本は白・黒・ネイビー・キャメル
  • ビッグバッグやフラットシューズを含む、都市生活に耐えうる実用性



といった設計が、同じトーンで整えられていたことです。ここで生まれたのは、「ファッションを知っている人には一目で分かるが、街のノイズには紛れてくれる」というタイプのラグジュアリーでした。





3. 現代の Quiet Luxury を象徴するブランドたち




The Row:テクスチャとパターンの“教科書”



Mary-Kate & Ashley Olsen による The Row は、メディアから「Quiet Luxury の代名詞」と呼ばれてきました。Marie Claire は、The Row を「ほぼロゴを見せず、落ち着いたパレットと完璧なプロポーションだけで欲望を喚起するブランド」と評しています。


Vogue の特集も、同ブランドが カシミヤコートや完璧なテーラードパンツで「控えめなラグジュアリー」の代名詞となり、2024 年 Q1 に検索数が前年同期比 93%増、Margaux バッグは 198%増というデータを紹介しています。


ここで重要なのは、


  • プロダクトにはほぼロゴが出てこない
  • 代わりに、肩線・袖山・生地の落ち方といった“仕立ての情報”が前景化している



という構造です。The Row における「静かな贅沢」は、視覚ノイズを消すことで、服の設計だけを浮かび上がらせる態度でもあります。



Loro Piana:生地の手触りがステータスになるケース



イタリアの Loro Piana は、カシミヤやヴィキューナといった高級原料を扱う老舗であり、近年「Quiet Luxury の象徴」としてメディア露出が急増しました。Vogue は 2025年の記事で、レッドカーペットでの Loro Piana 着用例を挙げつつ、「長らく静かなブランドだったが、今や Quiet Luxury の代表格としてスポットライトを浴びている」と書いています。


FashionUnited による分析では、Loro Piana は 2023 年に売上 24 億ユーロを記録し、LVMH の中でも上位の成長ブランドであること、ポジショニングは「従来のファッションブランドというより Hermès に近い」とまで評されています。


Quiet Luxury の議論で Loro Piana がよく取り上げられるのは、


  • 元々ロゴを前面に出さず、生地の質と価格帯そのものがメッセージになってきた
  • 「Succession」の Kendall Roy が被っていたキャップなど、ポップカルチャーでも“分かる人にだけ分かる記号”として使われた 



といった文脈が重なっているからです。



Brunello Cucinelli:エシカルな“カシミヤ王”としての静けさ



Brunello Cucinelli は、Business of Fashion を含む多くの媒体で「キング・オブ・カシミヤ」と呼ばれ、Quiet Luxury の代表として語られてきました。

南イタリアの小さな村ソロメオを拠点とし、工場と地域再生に投資しながら、米・中国を含むグローバル市場で成功しているというストーリーは、**“静かな贅沢=倫理的で人間味のある富裕層のライフスタイル”**というイメージと強く結びつきます。


South China Morning Post も、2,000ドル級のカシミヤニットが好調であることを紹介しつつ、Cucinelli を Quiet Luxury の象徴的存在として取り上げています。





4. なぜ富裕層に刺さるのか:ステータスの見せ方の変化




① ロゴ疲れと「読まれたくない」欲求



Business of Fashion は、「Quiet Luxury ブームはロゴの氾濫への反動として理解できるが、熱狂がどこまで実売に結びついているかは慎重に見るべきだ」としつつも、TikTok やドラマ『Succession』がステルス・ウェルスへの関心を高めたことを指摘しています。


ロゴが前面に出る服は、誰がどれだけのお金を使っているかが一瞬で読まれるため、ある種の安心感と同時に、疲労も生みます。とくに資産規模の大きい層ほど、「情報を読まれすぎたくない」「どこまでが自分で、どこからがブランドの主張なのか分からなくなる」という違和感を抱きやすい。Quiet Luxury は、その逆側で、


  • ロゴを弱め、
  • シルエットや素材で「分かる人だけが分かる」
  • 日常に溶け込むことで、視線のコントロールを自分の側に戻す



という役割を担っています。



② ジェンダーをまたぐ「静かな強度」



前述の The Row や Loro Piana、Brunello Cucinelli、Zegna などは、メンズ/ウィメンズ両方で Quiet Luxury を体現しているブランドとして挙げられます。

ジェンダーレス化が進むなかで、


  • 体に張り付かないテーラリング
  • ニュートラルカラーのニットとコート
  • ミニマルなジュエリー・レザー小物



といった要素は、男女どちらにも翻訳しやすく、性別よりも「生活の質」や「都市との距離感」を語る言語に変わりつつあります。



③ 消費の「長い時間軸」と相性がいい



Forbes は、Quiet Luxury を「流行ではなく、長く続いてきたスタイル」とした上で、トレンドサイクルから距離を取れることが、富裕層にとってのメリットだと指摘しています。

高額なコートやニットを購入する際、


  • 来季すぐに古く見えない
  • 数年着ても“今の自分”と違和感を起こしにくい



という条件は極めて重要です。Quiet Luxury は、その時間感覚と相性が良いスタイルとして選ばれている側面があります。





5. メディアが名付けた「Quiet Luxury ブーム」



2023 年以降、Quiet Luxury は単なるスタイルからメディアのキーワードへと変化しました。Business of Fashion や Vogue、Forbes などが、一斉に “quiet luxury” “stealth wealth” をタイトルに冠した特集を組み、ドラマ『Succession』の登場人物の装い(特に Kendall Roy のキャップやキャメルコート)を例に挙げています。


同時に、BoF の別の論考は「Quiet Luxury が本当に市場を動かしているかは、まだ確定的ではない」と冷静な視点も示しています。

ここから見えてくるのは、Quiet Luxury という言葉が、


  • 実際には以前から存在していた“控えめなラグジュアリー”を
  • SNS 時代の文脈に合わせて、わかりやすくラベリングし直した



結果として広まった、という構図です。





6. 陰りと批判:コピーのされやすさ、サプライチェーンの課題



Quiet Luxury に対する批判も、すでに出始めています。


Bank of America のアナリストは、2025 年のレポートで「Quiet Luxury はコピーされやすく、COS や UNIQLO のようなマス層ブランドでも似た見た目を再現できてしまうため、ラグジュアリー側の差別化を弱めている」と指摘しました。


また、「静かな贅沢」を掲げるブランドであっても、サプライチェーンの現実は別問題です。2025 年には Loro Piana が、下請け工場での労働搾取疑惑によりイタリア当局の司法管理下に置かれたと報じられました。

同社は不正を把握した後すぐに該当サプライヤーとの関係を断ったと説明していますが、「高価格=倫理的である」という安易な連想に対して、改めて検証が求められていると言えます。





7. これからの「静かな贅沢」はどこへ向かうか



Quiet Luxury をめぐる議論を整理すると、


  • 90年代ミニマリズムやフィービー期 CELINE のような前史があり、
  • The Row/Loro Piana/Brunello Cucinelli などが、
    ロゴに頼らない設計と素材で“静かな強さ”を更新してきた
  • 一方で、コピーされやすさやサプライチェーン問題といった、
    現代的な矛盾も抱えている



という構図が浮かび上がります。


“静かな贅沢”の本質は、おそらくロゴの有無ではなく、「どこまでを語らずに、何を設計で伝えるか」という判断の精度にあります。Quiet Luxury という言葉がメディアから消えたとしても、ロゴではなく構造や素材で語ろうとするラグジュアリーの態度自体は、今後も消えずに残っていくはずです。


その意味で、今強いのは「静かな贅沢」そのものではなく、“静けさ”を成立させるまで考え抜かれた設計――と言えるのかもしれません。

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