Yves Saint Laurent ― サファリ、シースルー、そして70年代の革新【Part3】
イヴ・サンローランがファッション史に刻んだ革新は、1960年代半ばの「ル・スモーキング」と「モンドリアン・ドレス」に留まりません。1970年代に入ると、彼はさらに大胆に「日常と官能」「実用とモード」を交差させ、服が持つ社会的・文化的役割を更新し続けました。
Part 3では、代表的な「サファリ・ジャケット(サハリエンヌ)」「シースルー・ブラウス」、そして70年代後半から80年代にかけての象徴的な仕事を掘り下げ、その美学を現代にどう翻訳できるかを考えていきます。
サファリ・ジャケット(サハリエンヌ)――都市に持ち込まれた冒険心
1967年、サンローランは「サファリ・ジャケット」をコレクションに登場させました。コットンやリネンを用いたベージュのジャケットには、大きなフラップポケットとウエストベルトが付き、アウトドアの機能性をそのまま都会へと移植したデザインでした。
翌年には『Vogue Paris』のフォトエッセイでモデルのヴェロニック・サンソンが着用し、広く注目を浴びます。このルックは、女性にとっての「旅」や「移動」を象徴すると同時に、軍装やユニフォームの記号を優雅に翻訳するものでした。実用の要素がエレガンスに昇華され、日常に新しい自由の感覚をもたらしたのです。
現代的に取り入れるなら、カーキやサンドカラーのジャケットをテーラードのように羽織り、インナーをシルクのブラウスやニットで柔らかく受ける。重さと軽さの対比が、サンローランが提示した「冒険心と官能の両立」を自然に再現します。
シースルー・ブラウス――透明性がもたらす色気
1970年代初頭、サンローランはシースルー素材を大胆に用いたブラウスを発表しました。当時は“露出過多”と批判されることもありましたが、彼が提案したのは単なる裸身の強調ではなく、布と肌の間に生まれる「曖昧な領域」そのものを官能としたことでした。
透けるシフォンやオーガンジーのブラウスは、下にブラレットやタンクを合わせることで、肌を覆いながらも“見せる”余白を作ります。これは、サンローランが一貫して大切にした「余白の美学」の延長であり、女性の身体を単なる装飾の対象ではなく、主体的な表現の場に引き上げた試みでした。
現代においてもシースルーは強力な武器です。黒や深いネイビーのシアートップスをジャケットの下に仕込み、袖口や襟からわずかに透けを覗かせるだけで十分。露出ではなく“余白”で語る色気こそ、サンローラン的解釈の真髄です。
70年代後半から80年代――民族志向と装飾性
70年代後半、サンローランはアフリカ、ロシア、中国など多様な文化的モチーフを積極的に取り入れました。特に1976年の「ロシアン・コレクション」は、豪華な刺繍や毛皮、ビザンチン調の装飾をふんだんに用い、“プレタポルテでクチュール的な体験”を与えるものでした。このショーは批評家から「モードがここまで劇的に文化を翻訳できるのか」と驚きをもって迎えられ、彼のキャリアの頂点の一つとされています。
さらに80年代にかけては、パワーショルダーや光沢素材を取り入れ、女性の社会進出を後押しするような“強さ”を服に託しました。ただしそれは単なる力の誇示ではなく、必ずどこかにシルクやシフォンの柔らかさを織り込み、強さと官能の均衡を取り続けた点がサンローランらしさでした。
MOOD的翻訳――日常に生きる「冒険」「余白」「文化編集」
サンローランが残したこれらのアイコンを、私たちが日常に落とし込むなら、3つの軸で考えると有効です。
まず「冒険」。サファリ・ジャケットに代表されるように、日常着の中に“移動する匂い”を忍ばせる。カーキの軽量コートや多ポケットジャケットをベースに、インナーはモノトーンで静かに抑えるだけで、機能と官能の両立が生まれます。
次に「余白」。シースルーやシアー素材は、素肌を見せるためではなく、覆いながら“見え隠れする余白”を作るための道具です。ニットやジャケットの下から袖や襟に透け感を挿し込む。それだけで全体が急にモードに寄ります。
最後に「文化編集」。異文化や装飾をどう取り入れるかは、現代では過剰なコスチューム性にせず、部分的な要素に翻訳するのが鍵です。たとえばロシアン刺繍ならストールの縁だけ、ビザンチン調ならジュエリーのモチーフだけ、と“部分引用”で日常に取り込む。
MOODの視点では、これらを骨格・余白・記号のバランスで整えることが肝心です。骨格はアウターの直線、余白は透けや素材差、記号は小物や装飾の一点。この比率を意識することで、サンローランが残した「自由と官能の美学」を、私たちのクローゼットにも翻訳することができるのです。