Yves Saint Laurent ― 「ル・スモーキング」と「モンドリアン・ドレス」が残した革新【Part2】
イヴ・サンローランという名前は、20世紀後半のモード史を語る上で避けては通れない存在です。
彼が提示した数々のコレクションのなかでも、特に1960年代半ばから後半にかけて生まれた「ル・スモーキング」と「モンドリアン・ドレス」は、単なるファッションの枠を超え、社会や文化にまで影響を与えた象徴的な作品でした。
Part 2では、この二つの代表作を掘り下げながら、その革新性と今日に至るまでの意義、さらにMOOD的な視点からどのように日常に翻訳できるかを考えていきます。
ル・スモーキング――女性のためのタキシード革命
1966年に発表された「ル・スモーキング」は、女性にタキシードを着せるという発想そのものが革命的でした。
それまでのイブニングウェアといえば、煌びやかなドレスやガウンが当然の選択肢でした。そこに現れたのは、漆黒のウールにサテンのラペルが走る、男性の礼服を基盤にしたジャケットとパンツのセットアップ。けれども、それは単なる“借用”ではなく、女性の身体の曲線を計算した新たな構造でした。ウエストを自然に絞り、ラペルはやや狭めにデザインされ、パンツは脚をまっすぐに見せるラインで仕立てられていたのです。
この服は、女性の社会的役割が大きく変わりつつあった時代と深く共鳴しました。キャリアを築く女性が増え、公共の場における「力」の表現が求められるなかで、タキシードは単なる夜会服を超え、ジェンダーの境界を曖昧にしながら新しい権威と色気を提示するものでした。
ファッション写真家ヘルムート・ニュートンが夜のパリで撮影した「ル・スモーキング」のイメージは、石畳の街路に立つモデルが、ドレスの代わりに黒のスーツで圧倒的な存在感を放ち、ファッション写真の歴史にも刻まれています。
一方で、この服は当初、レストランや劇場への入場を拒否されるなど、社会的な“反発”も呼びました。しかし、その論争こそが「ル・スモーキング」の意味を際立たせ、女性が装いによって社会的規範を挑戦できることを証明しました。
今日に至るまで、世界中のデザイナーが「女性のためのスーツ」を再解釈し続けていますが、その源流は間違いなくこの一着にあります。
モンドリアン・ドレス――アートと服の境界を超えて
その前年の1965年、サンローランは「モンドリアン・コレクション」を発表しました。抽象画家ピエト・モンドリアンの代表的なコンポジションを、シンプルなシフトドレスの表面に再現した作品群は、ファッションをアートと並列に語らせることに成功しました。
重要なのは、単なるプリントではなく、赤・青・黄・黒・白の色面を布のパネルとして裁断・縫製し、それぞれを正確に組み合わせていた点です。縫い目はグリッドの一部として機能し、まるで絵画の直線がそのまま布に移植されたかのような仕上がりでした。この緻密な構造は、高度なアトリエ技術を背景にしており、視覚的インパクトだけでなく“服としての完成度”も確立していたのです。
モンドリアン・ドレスは、ファッションが単なる消費財ではなく、芸術的表現の一部として社会に発信できることを示しました。モードは一夜の流行にとどまらず、文化や思想の言語となり得る。サンローランが体現したのは、その普遍的な可能性でした。
さらに、このドレスは実用性も備えていました。シンプルなシフトシルエットは動きやすく、女性の日常服として成立していたのです。芸術と日常を分断するのではなく、両者を重ね合わせる試み――それがモンドリアン・コレクションの核心でした。
ふたつの代表作が示した革新
ル・スモーキングとモンドリアン・ドレス。この二つは一見異なる方向性を持ちながら、共通して「既存の規範を壊し、新しい選択肢を提示する」ことに貫かれています。
ひとつは社会的なジェンダーコードを揺るがす革命、もうひとつは芸術と日常をつなぐ文化的越境。サンローランの真価は、服そのものの美しさに加え、服を通じて社会や文化を変革する力を持たせた点にあります。
その後のファッション史においても、この二つの作品は参照点であり続けました。パワースーツ文化、アートとのコラボレーション、そして“モード=思想”という理解は、すべてここから始まったと言っても過言ではありません。
MOOD的な翻訳――日常に生かすために
MOODとして私たちが考えるのは、こうした歴史的アイコンを単に模倣することではなく、その哲学をどう現代のワードローブに落とし込むかです。
ル・スモーキングの精神は、構築的なジャケットにハイゲージニットやシルクのブラウスを合わせ、襟元や袖口に余白を作ることで表現できます。黒一色でまとめる場合も、素材差(マットとグロス)で奥行きを与えれば、日常のスーツスタイルに“色気”と“強さ”を同時に宿せます。
モンドリアン・ドレスの哲学は、モノトーンのワードローブに一点強い色を差すスタイリングに活かせます。たとえばネイビーのウールコートに真紅のニット、あるいはグレーのセットアップに鮮やかなブルーの小物。色の配置を“絵画的に”考えることで、日常に芸術的な緊張感を持ち込むことができるのです。
MOODの提案は、こうしたアイコンを「歴史的遺産」として敬うだけでなく、「今の自分をどう更新するか」という実用の指針に翻訳すること。
サンローランが示したのは、モードの美しさが社会や文化の変化と共鳴するとき、そこに本当のラグジュアリーが宿るということでした。その精神を、日常のシャツやニットの着方にまで落とし込むことこそ、MOODの役割だと考えています。