サルヴァトーレ フェラガモとは
何者だったのか
ハリウッド、機能美、フィレンツェ、そしていまのフェラガモまでをつなぐ
サルヴァトーレ フェラガモを語るとき、まず思い浮かぶのは靴でしょう。
けれど、このメゾンの本質は単に「美しい靴を作ったブランド」というより、履物を通して、身体と映画と都市生活の関係を更新してきたところにあります。フェラガモは1898年生まれ、1915年に渡米し、1923年にはハリウッドで店を開き、映画用の靴づくりで名を上げました。1927年にはフィレンツェへ戻り、自らの会社を設立しています。
ここが面白いところで、フェラガモの出発点は、いわゆる"イタリアの伝統工房"だけではありません。
むしろ初期の強さは、映画という新しいメディアと、人体への強い関心が結びついたことにありました。フェラガモ・ミュージアムの解説でも、彼がハリウッドで「Shoemaker to the Stars」と呼ばれ、映画、劇場、バレエのための靴を作っていたこと、さらに色彩感覚や足の解剖学への理解、新素材の探求が、その仕事を特徴づけていたことが強調されています。
ハリウッドから始まった、
フェラガモの"機能する華やかさ"
フェラガモがただの装飾家ではなく、近代的な靴デザイナーとして評価される理由は、見た目の美しさだけでなく、構造と機能を同時に考えたことです。
ミュージアム側の説明でも、彼の仕事は美術的価値だけでなく、企業家としての視点、足の骨格への知識、素材研究、技術革新によって特徴づけられると整理されています。
ここから見えてくるのは、フェラガモがかなり早い段階で「女性を美しく見せる靴」と「実際に履ける靴」を両立させようとしていたことです。
映画のための靴づくりは、当然ながら"遠くから見える美しさ"を求められます。一方で、俳優が歩き、踊り、演じる以上、完全に非実用にはできない。その緊張関係の中で磨かれた感覚が、後のフェラガモの基礎になっていきました。ハリウッドは、フェラガモにとって宣伝の場である以上に、機能と幻想を両立させる実験室だったとも言えます。
フィレンツェへ戻った1927年は、
メゾンの本当の起点だった
フェラガモがブランドとして制度化されるのは、1927年にフィレンツェで会社を設立してからです。グループの公式年表でも、この年を最初の会社設立の年として位置づけています。
つまり、アメリカで名声を得たあとにイタリアへ戻り、そこで「作ること」と「売ること」を一つの企業として組み直した。この流れが、現在のフェラガモへ直結しています。
そして1938年には、フィレンツェ、ローマ、ロンドンで単独店を開き、1948年にはニューヨークへ進出しています。ここから分かるのは、フェラガモが比較的早い段階から、ローカルな工房ではなく、国際的なラグジュアリーブランドとしての道を歩んでいたことです。
フィレンツェを製造と美意識の拠点にしつつ、ロンドンやニューヨークを流通と象徴性の拠点にする。かなり現代的な構えです。
フェラガモが"靴だけのブランド"
ではなくなった時期
現在フェラガモを見ていると、バッグ、ウェア、シルク、香水まで揃っているので、最初から総合ラグジュアリーのように見えます。
ただ、実際には拡張にははっきりした段階があります。グループ史によれば、1965年に最初のレザーグッズとレディ・トゥ・ウェア、1971年にシルクとアクセサリー、1970年代後半から80年代にかけてメンズウェア、1997年に香水、1998年にアイウェア、2008年に時計ラインが始まっています。
この年表が示すのは、フェラガモがかなり慎重にカテゴリーを広げてきたことです。
まず靴で名声を築き、その後に革小物、服、シルクへ広げ、さらにライセンスや協業も含めながら周辺領域を整えていく。いわゆる何でも作るブランドというより、「靴の文法をどこまで別カテゴリーへ移せるか」を試してきたメゾンとして見るほうが、実態に近いと思います。
フェラガモが特別なのは、
"靴のブランド"なのに
身体感覚で全体を作るところ
多くのラグジュアリーブランドには、はっきりした出発点があります。
トランク、馬具、オートクチュール、革小物。フェラガモの場合、その起点は靴ですが、より正確には「足」への意識と言ったほうがいいかもしれません。足は身体の最下部であり、姿勢や歩き方に直結します。つまり靴を考えるということは、全身の見え方を考えることでもある。
この出発点の違いは、現在のプロダクトにも静かに残っています。
フェラガモのバッグやウェアには、他のメゾンに比べて"地面との距離感"のようなものが残ることがある。華やかさはあっても、どこか実用の重心がある。それは、ブランドが最初に手掛けたものが、飾るためのオブジェではなく、歩くための道具だったからかもしれません。
近年の転換点
2022年以降の若返りと再編集
現在のフェラガモを考えるうえで大きな転換点になったのは、2022年です。
まず3月、マキシミリアン・デイヴィスがクリエイティブ・ディレクターに就任しました。フェラガモの公式リリースでは、彼が2022年3月16日付で就任したこと、そしてCEOマルコ・ゴベッティが、ブランドの豊かな遺産をもとに新しい章を書く存在として期待していたことが明記されています。
同時期、ロイターはゴベッティ体制のもとで商品提案の刷新、若い顧客への接近、店舗の見直しが進められることを報じています。2022年5月の時点では、ゴベッティが中期的に売上倍増を目指し、投資を強める方針を語っていました。
そしてデイヴィスのデビューとなる2023年春夏ショーで、フェラガモはかなり明快な方向転換を見せます。
ブランド公式のショーページでは、その初コレクションが「A New Dawn」と名付けられ、ハリウッドでのサルヴァトーレの始まりを、現代のハリウッド文化へ接続し直す試みとして説明されています。
ここが非常にフェラガモらしい。完全な断絶ではなく、創業者のアメリカ体験という原点を、若い感性で再編集することで、新しさを作っているからです。
いまのフェラガモは、
成功の途中にあるブランドとして
読むほうが正確かもしれない
ここは少し慎重に見たほうが良いところです。
フェラガモは現在、決して"完全に復活した"と簡単には言えません。公式の2024年年次報告書では、2024年売上高が10億3,500万ユーロで前年比約10.5%減だったことが示されています。
ロイターも2025年3月、アジア市場、とくに中国の弱さや卸売環境の厳しさの中で、2024年の営業利益が大きく落ち込んだことを報じています。
さらに2025年2月には、マルコ・ゴベッティCEOの退任も報じられました。ロイターは、ブランドの再生が期待ほど進まず、売上の立て直しが難しい局面にあることを伝えています。ただし同時に、創業家がブランドへの関与を続け、マキシミリアン・デイヴィスは残るとも報じています。
つまり、いまのフェラガモは"完成済みの再生成功例"ではなく、原点の強さを現代にどう翻訳するかを試している途中のブランドです。
この「途中」であることは、むしろ見応えがあります。なぜなら、ブランドの遺産がいまどのように扱われるべきか、その試行錯誤がかなり見えやすいからです。
それでもフェラガモが
面白い理由
ここまでを見ると、フェラガモはとても分かりやすい成功物語にも、単純な老舗ブランドにも見えません。
ハリウッドで名を上げた創業者が、フィレンツェで会社を築き、靴から総合ラグジュアリーへ拡張し、いま再び若いクリエイティブの手で、原点と現代をつなぎ直そうとしている。しかもその過程は、まだ現在進行形です。
そして、ここにフェラガモならではの面白さがあります。
たとえばグッチやプラダのように、トレンドを大きく動かすブランドとは少し違う。むしろフェラガモは、身体との距離感や、道具としての品格、日常と華やかさの均衡をどう保つか、という方向で強い。
ブランドの声量は決して大きすぎないのに、ルーツを辿るとかなり厚みがある。こういうメゾンは、知れば知るほど見え方が変わります。
美しさが、どこで
現実と折り合うのか。
MOODとしてフェラガモに惹かれるのは、ラグジュアリーでありながら、どこか"身体の現実"から離れすぎないところです。
創業者のサルヴァトーレが足の構造や歩くことに向き合っていたように、このメゾンには、装いを空想だけで終わらせない感覚がある。
だからこそ、フェラガモの歴史を読むことは、単に老舗を知ることではなく、「美しさがどこで現実と折り合うのか」を知ることにも近い気がします。