BALENCIAGA
デムナの後に、ピエールパオロ・ピッチョーリは何を取り戻すのか
Balenciagaというメゾンは、いつの時代も少し難しい場所にあります。
単に美しい服を作るだけでは足りない。単に新しい服を作るだけでも足りない。このブランドには、常に構築性、緊張感、身体との距離、そして時代への批評が求められてきました。
2025年、Balenciagaは大きな転換点を迎えました。約10年にわたりメゾンを率いたデムナがGucciへ移り、その後任としてピエールパオロ・ピッチョーリがBalenciagaのクリエイティブ・ディレクターに就任したのです。
この人事が興味深いのは、ふたりのデザイナーがあまりにも違う温度を持っているからです。
デムナは、現代社会の違和感や過剰さを、ラグジュアリーの言語へ変換した人でした。一方でピエールパオロは、Valentinoで長く、色彩、ロマンティシズム、クチュール的な品格、そして人の感情に寄り添う美しさを磨いてきたデザイナーです。
では、そんなピエールパオロがBalenciagaで取り戻すものとは何なのか。それは、単なる上品さやロマンティックな美しさではないはずです。むしろ、Cristóbal Balenciagaが本来持っていた、身体を縛らず、布と空間で人を美しく見せるための静かな強度なのではないでしょうか。
Cristóbal Balenciagaが作ったのは、
装飾ではなく“空間”だった
Balenciagaの原点は、1917年にCristóbal Balenciagaがスペインで創業したメゾンにあります。その後1937年にパリへ移り、彼はオートクチュールの世界で、技術、構築、比例感覚において圧倒的な評価を得ていきました。
Cristóbal Balenciagaの服が特別だったのは、女性の身体をただ飾ったからではありません。むしろ、身体から少し離れたところに布の空間を作り、その余白によって人を美しく見せたことにあります。
1950年代に彼が提示したバルーンジャケット、コクーンコート、サックドレス、ベビードールドレスなどは、どれも身体にぴったり沿わせる服ではありませんでした。ウエストを強く絞るのではなく、身体の周囲に量感を置く。曲線をなぞるのではなく、布の形によって新しいシルエットを作る。
ウエストを強く絞るのではなく、身体の周囲に量感を置く。曲線をなぞるのではなく、布の形によって新しいシルエットを作る。
ここでの美しさは、甘さや装飾ではなく、服そのものの設計から生まれています。
DiorのNew Lookが、戦後の女性像を花のような曲線で提示したとすれば、Balenciagaはもう少し静かで、もう少し抽象的でした。身体を美しく見せながら、身体そのものを直接語りすぎない。そこに、Balenciagaらしい知性があります。
だからBalenciagaを語るとき、単にエレガントという言葉だけでは足りません。このメゾンの核にあるのは、布と身体の間にどんな距離を作るか、というかなり高度な問いなのです。
Nicolas Ghesquièreが持ち込んだ、
未来的な構築性
Cristóbal Balenciagaの後、メゾンは長く静かな時期を経ました。その中で現代のBalenciaga像を大きく作り直した人物のひとりが、Nicolas Ghesquièreです。
1990年代後半から2010年代初頭にかけて、GhesquièreはBalenciagaに未来的な緊張感を持ち込みました。彼のBalenciagaは、Cristóbalの構築性をそのまま懐古するのではなく、テクノロジー、スポーツ、SF的な感覚、シャープな素材使いによって現代へ翻訳していった印象があります。
特に2000年代初頭のBalenciagaは、クールで、鋭く、少し近未来的でした。それまでのクラシックなクチュールメゾンという印象を、都市的でモードなブランドへ引き寄せた功績は大きいと思います。
また、Ghesquière期を語るうえで欠かせないのが、Motorcycle Bag、のちのCity Bagです。柔らかいレザー、スタッズ、タッセル、軽さ、ロゴに頼らない存在感。当時のかっちりしたラグジュアリーバッグとは異なる、少し崩れたムードがありました。
このバッグが示したのは、Balenciagaが“完璧な構築”だけではなく、“崩れた美しさ”も扱えるメゾンだということです。Cristóbalの建築的な服と、Ghesquièreの軽く反抗的なバッグ。一見遠く見えるこのふたつは、どちらも既存の美しさから少し距離を取っている点で、実はつながっています。
デムナが変えたもの
Balenciagaは、時代の不穏さを映すブランドになった
2015年にデムナがBalenciagaのアーティスティック・ディレクターに就任すると、メゾンはまた大きく姿を変えます。
デムナのBalenciagaは、単にストリートを取り入れたブランドではありません。彼がやったのは、日常の中にある過剰さ、不気味さ、消費社会の歪み、SNS時代の見られ方を、ラグジュアリーの中へ持ち込むことでした。
極端に大きなシルエット。スニーカーやフーディーの再解釈。IKEAバッグのような日用品的イメージ。ロゴ、企業制服、観光土産、セレブリティ文化、政治的な空気。デムナは、美しいものだけではなく、現代社会の妙な違和感までも服にしてしまった。
これはBalenciagaの歴史において、非常に大きな意味を持っています。Cristóbalが身体と布の関係を刷新したとすれば、デムナは服と社会の関係を刷新したと言えます。
もちろん、その方法は常に賛否を生みました。強い表現であるほど、危うさも伴います。実際、2022年の広告キャンペーンをめぐる問題では、ブランドの表現責任が厳しく問われ、Balenciagaは大きな批判に直面しました。
ただし、デムナの10年を単に“炎上”や“ストリート”だけで片づけるのは雑です。2021年には、Balenciagaは53年ぶりにオートクチュールへ復帰しました。これはデムナの中に、Cristóbalへの真摯な向き合い方があったことを示しています。
つまりデムナは、Balenciagaを壊した人ではなく、かなり荒い手つきで現代に接続し直した人でした。ただその反面、メゾンにはもう一度、静けさや品格、服そのものへの信頼を取り戻す必要も生まれていたのだと思います。
ピエールパオロ・ピッチョーリは、
何を持ち込むのか
ピエールパオロ・ピッチョーリは、Valentinoで長くキャリアを築いたデザイナーです。Maria Grazia Chiuriとの共同体制を経て、2016年以降は単独でValentinoを率い、色彩、ロマンティシズム、クチュール、インクルーシブな美しさを通して、ブランドの現代的な表情を作ってきました。
彼の仕事は、派手な装飾だけで成立していたわけではありません。むしろ、人を美しく見せるための距離感が非常に丁寧でした。
長く流れるドレス。身体を締めつけすぎないシルエット。鮮やかな色彩。肌や年齢、性別に対する柔らかな視線。Valentinoでのピエールパオロは、ロマンティックでありながら、決して古典的な女性像だけに閉じない美しさを提示していました。
この感覚は、Balenciagaにとってかなり興味深いものです。なぜならCristóbal Balenciagaの服にも、身体を強く縛らない思想があったからです。
ただし、ピエールパオロがBalenciagaでやるべきことは、Valentinoをそのまま持ち込むことではありません。Valentino的なロマンティシズムを、Balenciaga的な構築性にどう変換するか。ここが最大の見どころです。
2025年10月のBalenciagaデビューでは、Cristóbalのサックドレスやコクーン的なシルエットを思わせる要素、構築的なボリューム、そして現代的なデニムやレザーの感覚が見られました。そこには、デムナ以後のBalenciagaを完全に否定するのではない、Cristóbalの根に戻りながら、現代のワードローブへ接続しようとする意志が感じられます。
取り戻すべきものは、
上品さではなく“信頼”かもしれない
では、ピエールパオロはBalenciagaで何を取り戻すのでしょうか。
単に上品さでしょうか。それとも、クチュールらしさでしょうか。もちろん、それも一部ではあります。
けれど、より大きく言えば、彼が取り戻そうとしているのは“服への信頼”なのだと思います。
デムナのBalenciagaは、服を通して社会を揺さぶりました。それは非常に現代的で、強い方法でした。一方で、挑発や批評が前に出るほど、服そのものの美しさや、着る人の感情が少し後ろに下がって見える場面もありました。
ピエールパオロのBalenciagaに期待されているのは、そこをもう一度、人の身体と感情の側へ戻すことです。
構築的でありながら、冷たすぎない。歴史的でありながら、懐古に終わらない。モードでありながら、人を置き去りにしない。クチュールの技術を持ちながら、現代の服として着られる。
構築的でありながら、冷たすぎない。歴史的でありながら、懐古に終わらない。モードでありながら、人を置き去りにしない。クチュールの技術を持ちながら、現代の服として着られる。
これは簡単なことではありません。Balenciagaは、あまりにも強い歴史を持っています。そしてデムナによって、あまりにも強い現代性も持ってしまった。
その両方を受け止めるには、単なる美しさでは足りない。Cristóbalの方法を理解し、Ghesquièreの未来感を知り、デムナの社会性を否定せず、その上でピエールパオロ自身の人間的な温度を加える必要があります。
ここに、今回の人事の面白さがあります。
これからのBalenciagaは
どこへ向かうのか
今後のBalenciagaは、おそらく極端な方向転換ではなく、緊張感の調整へ向かうのではないでしょうか。
デムナ期のような強い社会批評や挑発性は、少し抑えられる可能性があります。その代わり、布の美しさ、シルエットの完成度、クチュールの技術、色彩の深さが前に出てくるはずです。
特に注目したいのは、ボリュームの扱いです。Balenciagaにおけるボリュームは、単なる大きさではありません。身体をどう包むか。どこを浮かせ、どこを落とすか。どの部分に空間を作るか。
ピエールパオロがValentinoで見せてきた布の流れと、Cristóbal Balenciagaの建築的な空間が結びつけば、非常に美しい方向へ進む可能性があります。
もうひとつは、バッグや小物の再定義です。Balenciagaには、Ghesquière期のCity Bag、デムナ期のHourglassなど、時代ごとに強いバッグがありました。ピエールパオロ期に新しいアイコンバッグが生まれるのか、それとも既存のコードをより静かに磨いていくのか。これは商業的にも重要なポイントです。
そして最も大きいのは、Balenciagaが再び“美しさを信じられるブランド”として見られるかどうかです。
デムナが作った不穏さや現代性は、間違いなく重要でした。けれど次の章では、その鋭さをどのように品格へ変換するかが問われています。
ピエールパオロが取り戻すべきものは、過去そのものではありません。Cristóbalの精神を、今の人が着られる感情へ変えること。それができたとき、Balenciagaはもう一度、ただ話題になるブランドではなく、静かに記憶に残るメゾンへ戻っていくのだと思います。
美しいだけではない。新しいだけでもない。
けれど、着る人の身体と時代の空気を、静かに変えてしまう服。
MOODとしてBalenciagaを見るとき、惹かれるのは“強いブランド”という一言では片づかないところです。
Cristóbal Balenciagaの構築性。Nicolas Ghesquièreの未来感。デムナの社会への鋭い視線。そして、ピエールパオロ・ピッチョーリが持つ人間的な柔らかさ。
それぞれの時代で、Balenciagaは違う顔を見せてきました。けれど根底にあるのは、服が身体の見え方を変え、時代の空気まで変えてしまうという強い信念です。
ピエールパオロのBalenciagaに期待したいのは、デムナの後にただ上品へ戻ることではありません。むしろ、Balenciagaが本来持っていた構築性や緊張感に、人の温度をもう一度通すことです。
美しいだけではない。新しいだけでもない。けれど、着る人の身体と時代の空気を、静かに変えてしまう服。
そんなBalenciagaがこれからどう立ち上がるのか。その動きは、いまのラグジュアリー全体を読むうえでも、かなり重要な視点になるはずです。